【心のとまり木】
時は否応なしに進んでしまうから、人はいろんな荷物を抱えながらも、前へと歩を進める。
だって留まれないから。
私はよく、自分を『籠の中の鳥』と言い、大切な人を怒らせてプンプン丸にしてしまうけれど、確かにどちらかと言うと負の面を描いていそうなこの表現も、実は良い意味での決心と言うか、拘りと言うか、とにかくそんなものでもあると知って欲しいのだ。
私がこの場所、まあ籠の中の鳥と言ってしまうこの場所に居ることによって、誰かが目指す道標にもなり得ないのだろうか?と。
物理的、地理的と言うばかりのものでなく、心や精神の目指す場所の一つであっても良いのではないか?そして私はそんなものになりたいと願うのだ。
籠の中の鳥を動物園的に捉えてもらって構わないだろうし、フクロウカフェのように、まさしく癒しを明確に求めて来てもらう場所にしてもらって構わないのだ。
大切な人、もちろんプンプン丸さんも含めて、決して数は多くない私の大切な人達の『心のとまり木』であること、そういうもう一つの面を併せ持つ『籠の中の鳥』表現なのだと自負している。
ただ、まあ、自分も決して強い人間ではないから、闇に飲まれそうな時も多々存在している訳で、いわゆる悪い面での『籠の中の鳥』になっていることもしばしば。
ここに留まり眺める景色は、確かに変化の少ない飽き易い景色だけれども、あえて道標と言うかランドマークでも在りたいと願う私がここに居るのだ。
いつか誰かの心のとまり木になれますように。
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