盆に想う

4年前の『あの日』までは、欠かさずずっと続けていた墓参りや、寺社仏閣巡り。

今では全てやめてしまった。

無論、身障者となり、物理的に出来づらくなったのもあるが、一番は根本的に『信じる』部分を『失った』からにほかならない。

他の人の信仰心や伝統意識など否定するつもりは毛頭ないが、こういう事は『残された側』の人達にとても大切で必要な行為なんだなと、改めて認識出来た。

私は死の淵を覗いて来て、尚且つその深淵の魅力に取り憑かれてしまった身だ。

今更何に縋れるだろうか。

我が先祖も、友も、恩師も、同じ墓地に眠っているが、そこには実のところ何も無いのだ。

盆で迎えるのも、実は『残された者の想い』だと言うことも、皆心のどこかで感じていて、それでも温かく柔らかな『何か』で包んで過ごしているんだね。

そしてそれが日本人の心なのだと思えるし、素敵だなと素直に思う。

しかし、そんなこんなを何もせずに私はただ見つめて居るのだ、この場所から。

籠の中の鳥はずっと変わりなく、変わろうともせずに。

空の欠片

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